藁蛇日記

魔物や疫病を防ぐ関東の藁蛇行事を採録していきます

埼玉県幸手市惣新田上沢目木

 今回は、幸手市です。 あれ?、多古町牛尾の続きじゃないのか…、そうなんです違うんです(笑)。 幸手はもう二十年以上も前から通っている藁蛇の宝庫で、広い耕地のどこに「生息」しているのか、手探りで探すしかありませんでした。 この上沢目木の他に、上宇和田、神扇、平須賀中株、下吉羽、九郎衛門、菱沼、平野、戸島…とあって、夫々に2~4体ほどの藁蛇が見られました。 ただ廃絶した処や数を減らした処も多く、去年まで見られたのが今年はない…と絶望に陥ることもしばしばでした。 乾いた田圃に水が張られ、土手沿いに菜の花が咲くころ、生まれる藁蛇が多いのですが、呼んでも返事はありません。 行事が終わると、にょろにょろーっとムラ境に行ってしまうため、車載した折り畳み自転車で追いかけたこともありました。 今回の上沢目木は三体なのですが、どうしても一体だけが見つからず、とうとう3年もかかって発見した次第です。 藁は風景に同化し易いですからね(汗)。

f:id:volvox-neo:20210728205723j:plain

 上の写真はケハ立っているのですが、これは蛇の鱗です。 眼と口、耳(角)があり、異様な形態ですが、これは私が幸手型と呼ぶものです。 全長は2m弱で三体がムラ境に置かれます。

 幸手市惣新田は、寛永十七年(1640)の江戸川改修によって下総国から武蔵国編入された。惣新田の開発はこれを機に次々と開発され、下総国一宮である香取神社を鎮守とする処が多い。 惣新田の鎮守は天神社であるが、これには二つの説があり、一つは大昔の洪水の際に、中川上流から流れて来た御神体を天からの授かりものとしたというものと、寛文年間(1661-73)に江川村(現在の五霞町)から移住した山田庄五家が鎮守として崇めていた天神を勧請したものという説である。 

 藁蛇行事は天神社ではなく、その裏手にあたる受楽庵と密接な繋がりがある。五月一日、受楽庵で百万遍を唱えた後に藁で作られてムラ境の辻に置かれる注01)。 この受楽庵は今から160年ほど昔、ムラ内に博打が流行ったことがあり、役人の責めを逃れるために名主が一代限りの僧として出家したという言い伝えがある。 現在は秩父から来た尼僧か務めている。

 この五月一日という日付が怪しい。 2015年と2018年に行ったものの何もなかった。 受楽庵の温和な尼僧さんに伺った処、話し合いによって曜日を決めるということであり、2018年は第一日曜ということだった注02)。 後日、訪問した際、受楽庵裏の一体(①)と用水路脇の一体(②)はすぐに見つかったが、残る一体が判らない。 ②そばで農作業をしていた方に聞いた処、東へ行って突き当りを左に行けばよい、とのことだったから、散々探してみたが判らなかった。 その後も幸手訪問時には必ず探したが判らない。 ある時、グーグルマップであちこち探してみてようやく見つけた。 新4号国道の向こう側だったのだ(③)。

 なお、fig.04の写真にも悩まされた。 「埼玉の祭り・行事」という調査報告書にあったものだが、「上沢目木」とキャプションにあるだけで詳しくは記載がない。 これは2000年頃に見つけた資料だったが、上沢目木自体が判らずにいたので、しばらく手つかずだった。 苦節20年ということですね(笑)。 

f:id:volvox-neo:20210728204914j:plain

fig.01)  上沢目木の藁蛇配置

f:id:volvox-neo:20210728204815j:plain
f:id:volvox-neo:20210728204050j:plain
f:id:volvox-neo:20210728204948j:plain

fig.02)   天神社          fig.03) 受楽庵           fig.04) 埼玉の祭り記載の写真

f:id:volvox-neo:20210728204252j:plain
f:id:volvox-neo:20210728204225j:plain
f:id:volvox-neo:20210728204014j:plain

fig.05)  ① 受楽庵の脇      fig.06)  ② 南側       fig.07) 新4号国道の東。電柱左にある

f:id:volvox-neo:20210728224113j:plainf:id:volvox-neo:20210728224037j:plain

fig.08)  問題の電柱   fig.09) 頭部の造作

 

注  記)

注01) 「幸手市文化遺産だより VOL17」には、大蛇づくりの後に百万遍を行うとあるが、尼僧さんのお話と「埼玉の神社」記載によると百万編後に藁蛇を作ることになっている。

注02) 他の藁蛇行事と同じく、作り手の問題から日曜に行われることが多くなっている。

主要参考文献)

・「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」埼玉県神社庁/平成4年7月

・「幸手市史 民俗編」幸手市教育委員会/平成9年3月

・「埼玉の祭り・行事  埼玉の祭り・行事調査報告書」埼玉県教育委員会/平成9年1月

・「幸手市文化遺産だより VOl17」幸手市郷土資料館/令和2年3月