藁蛇日記

魔物や疫病を防ぐ関東の藁蛇行事を採録していきます

千葉県香取郡多古町牛尾(下郷)/潮神社

 今回で二回目となります。 前回の後編ではないのか?、と言うあなた、甘いです。 なにせいい加減なもので(笑)。 考えるに、五か所の藁蛇行事に深い謎があると思っています。 埼玉県秩父市秩父神社、同 椋神社、東京都足立区高野胡録神社、神奈川県茅ケ崎市八雲神社、それと前回の茨城県稲敷郡阿見町の五か所です。 それぞれに解明すべき点があって、中々に筆が進みません。 前回の後編は、いましばらくお待ち願います。 今回は多古町牛尾の蛇まつりです。 上郷と下郷の二か所で行われるのですが、時間的には下郷の潮神社が先に行事を行うので、それから記述します。

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 多古町潮神社の所在は、旧地名で言うと千葉縣香取郡東條村牛尾區字淺間山になり、小山の山頂部に鎮座している。 文禄三年(1595)、新田開墾時の創立で以前は淺間神社と称し、大正七年(1918)七月に子(ね)野大神と稲荷神社を合祀した。

 この神社南方、徒歩数分に上郷の牛尾神社がやはり小山上に鎮座しており、両社とも毎年11月15日を例祭日として「蛇まつり」を行っている。元は陰暦霜月十五日に行われた豊穣感謝の秋祭りである。

 下郷側は11時から、上郷側は12時から始まるので、撮影は嬉しいほど多忙である。両社とも八岐大蛇(ヤマタノヲロチ)伝説の影響下にあり、異形ながら八頭と尾剣を有している(注1)。神社に担がれて行く行列には伝説に登場する可愛い奇稲田媛命(クシイナダヒメ)役もいる(注2)。両社の行事ともに町の無形指定文化財である。なお、配られた多古米のおにぎりは旨かった。

前日に当番の家で作られて翌日朝、集会所に持ち込まれる。大体のスケジュールは以下のようである。

 09;50 集会所から神主が拝殿に来て、祭儀を執行する

 10;30 集会所で共食(神と氏子が食事する)

 11;00 集会所から蛇体が担ぎ出される

 11;15   蛇体が拝殿に至る。その後に拝殿内で担ぎ廻り、鳥居 に掛けられる

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fig.01)  集会所       fig.02)   蛇体を待つ拝殿 fig.03)   行列    

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fig.04) 神社外観     fig.05) 奇稲田媛命が進む  fig.06) 急階段を担ぐ

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fig.07)  拝殿内で暴れる     fig.08) 記念写真     fig.09) 独特な蛇頭

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fig.10)  蛇掛け              fig.11)  配られたおにぎり


補注)

・注1) ヤマチノヲロチとしての頭部は何とも言い難い形状をしていて、ヒゲのような部分が八頭を表しているのだろう。 尾剣は神話通りクサナギノツルギである。「天下泰平」「五穀豊穣」とある。

・注2) 古事記日本書紀で記述に相違がある。

主要参考文献)

・「多古の民俗 昭和五十年度調査報告」多古町教育委員会/昭和五十一年三月

・「千葉神社名鑑」千葉県神社庁/昭和六十二年十二月

・「千葉縣香取郡誌」千葉縣香取郡役所/大正十年三月