藁蛇日記

魔物や疫病を防ぐ関東の藁蛇行事を採録していきます

埼玉県川口市木曽呂

 藁蛇ファンの皆さん、今日は(笑)。 先回の幸手市惣新田上沢目木で、fig.04)の埼玉の祭り記載写真とfig.08)の問題の電柱について少し説明不足でしたね。 受楽庵横にある藁蛇が、以前はその斜め向かいにある電柱に置かれていたというのを捕捉不足でした。この電柱は現在、補強支線(ワイヤー)が設けられているのですが、この黄色いカバーに可愛い雀の巣があったりします(喜)。 

 さて、今回も期待を裏切って(え?)、埼玉県は川口市の例を挙げることにします。

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 川口市木曽呂の藁蛇行事は、毎年7月2日に行われる「シメハリ」と呼ばれる。 

 ムラ(注01)の鎮守は朝日神社であるが、元は氷川神社といい、応永三年(1396)に創建された。社号の由来は明治四十年から同四十四年にかけて、木曽呂・東内野・源左衛門新田・神戸・安行領在家・道合の六つの大字の各神社を合祀したことに因んで、合祀の遷宮祭を執り行った十月十日の四文字を分解して「朝」を用いた名とした。

元より、木曽呂ではシメハリ(注連張り・注連飾り)という行事を行っていたが、これは旧氷川神社の疫病除け神事由来のものであろう注2)。   一区(南側)は地区内の天雲神社の注連縄を新調し、ここ二区(北側)は木曽呂入口に当たる道に跨る注連縄を掛けていたが、昭和四十年ころから通行車両の邪魔になるとして、道の両側に竹に巻きつけたものを立てる形にしている。注3)

 行事は午後一時ころから始まる。材料や道具を持ったムラ人が集荷場に集まる。集荷場は木曽呂交差点際にあり、伊勢屋酒店の斜め向かいにある。二体の藁蛇の綯いは三時ころには全て終了して道に掛けられる。 蛇体は5m強で、ケバ(鱗)の立ち具合も良く、威勢のある見事な藁蛇である。

 七月十六日には、交替となった新年番が取り外してしまう。 戦前は川に流していたが、現在では燃やしているという。 なお、行事終了後は伊勢屋の美味しいお神酒で宴会だろうな(笑)。

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fig.01) 坐業場所全景        fig..02) 作業に勤しむおっさんズ   fig.03) なかなかの力作

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fig.04) 梯子で捩じる fig.05) 見つめ合う  fig.06) 電柱脇何へ fig.07) 大変な作業  fig.08) 登り龍だね

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fig.09) 頭部の造作。 眼は無い          fig.10) 道の両脇に掛ける。 電柱は垂直です(笑)


脚  注)

・注 1) 当ブログでいう「ムラ」とは、昭和以前の村落・農業共同体を指す。 藁蛇はこれら共同体の構成員によって丁寧に作られ、祀られて、その地域の平和と繁栄に寄与したものと解される。 

・注 2) 氷川神社祭神の素戔嗚命神は幾つかの理由から、牛頭天王と習合して疫病除け・鎮圧の祭礼に祀られてきた。平安ころには「桜の散りかふころは 疫神の多く飛散して」と春の疫病祭祀が多かったようだが、この祭礼(氷川神社や天王さまの祭礼)は七月十五日が多い。

・注 3) 確定はできないが、これは関西や千葉南部に多い綱吊り形式のふせぎ行事だと思う。そうであれば、その綱には小型の龍が吊るされていたとも考えられる。


主要参考文献)

・「川口市史 民俗編」 川口市史編さん室/昭和55年3月

・「埼玉の神社  入間・北埼玉・秩父」埼玉県神社庁/昭和61年4月