藁蛇日記

魔物や疫病を防ぐ関東の藁蛇行事を採録していきます

千葉県香取郡多古町牛尾(下郷)/白幡社

 今回は多古町下郷の事例を揚げます。毎度のことですが、まずは先回の川口市木曽呂の訂正から始めます(汗)。前書きの「捕捉」→「補足」、fig,06の「電柱脇何へ」→「電柱脇へ」です、注意不足ですいません。

 ここ白幡神社の蛇体は上郷と同様、出雲神話の八岐大蛇(やまたのをろち)をモデルとする極めてユニークなものです。

f:id:volvox-neo:20210717041454j:plain

  白幡神社の「白幡」は、平家の赤旗に対する源氏の白旗に由来するのは御存じの通り。山武郡白幡町の白幡神社の記録には、治承四年(1180年)、石橋山の戦いに破れた源頼朝安房に逃れて源家累代の家人上総介平広常(一宮城主)、千葉介平常胤(千葉城主)等と兵を興し、同社に参籠して白幡に願書一通と矢を添えて源氏再興祈願をしたとある。 白幡と名に付くのは千葉県に多いが、藁蛇を掛ける川崎市宮前区平の白幡大神も同様にこの故事を由来とする。 『千葉県神社名鑑』は、ここ牛尾の白幡神社創建を大同三年(808年)十一月十五日と記す。平安末期、多古地方(千田莊)を領有していた千田親政が平常胤に滅ぼされると、その後数百年は常胤一族が支配している。常胤は桓武平氏良文流で、この良文は関東平氏の祖であり、藁蛇日記上では埼玉県秩父市大宮の秩父神社や同蒔田の椋神社に深く関係するキーパーソンである。

 開村は大同二年、以来神社は「おぼすなさま」と呼ばれて白幡山に鎮座する。ムラは四つのクルワ(組)に分かれていて、当番組のヤドで1週間ほど前から作り始め、前日には胴体を作り上げる。「じゃ祭り」とも言い、蛇体の呼称は「じゃ」である。八つの頭を持つ凡そ7~8mの全長である。

 例祭日は11月15日。当日が日曜以外であれば、その直前の日曜を例祭日としている。本来は太陰暦の11月に収穫祭としていた。

 当日朝は上郷の祭りで、下郷では12時20分頃、神社向かいにある集会所から蛇体が担ぎ出される。しばらくは道路上で暴れ廻る。担ぎ手はお神酒で酔っ払っているから、なかなかの千鳥足ならぬヲロチ足(笑)である。 12時30分頃、鳥居を潜って急階段を上り、山上の拝殿前にある庭でもう一度暴れて見せる。40分頃、蛇体は拝殿に安置。見物者には上郷と同じく多古米の美味しいおにぎりが配られる(喜)。ついでに名物の墨塗りが見物者を襲う(笑)。その後、担ぎ出された蛇体は、13時40分頃、二の鳥居に巻きつけられて終わる。

 

f:id:volvox-neo:20210901145713j:plainf:id:volvox-neo:20210901145320j:plainf:id:volvox-neo:20210717040852j:plainf:id:volvox-neo:20210717040938j:plain 

fig.01) 神社前景  fig.02) 集会所     fig.03) ヲロチ足(笑) fig.04) 階段を上る

f:id:volvox-neo:20210901145234j:plain f:id:volvox-neo:20210717041034j:plain f:id:volvox-neo:20210901145414j:plain

fig.05) 蛇体を待つ拝殿   fig.06) 階段を走り上がる  fig.07) 拝殿前で暴れる

f:id:volvox-neo:20210717041357j:plain f:id:volvox-neo:20210717041307j:plain f:id:volvox-neo:20210901145519j:plain

fig.08) 急斜面上の鳥居に掛ける fig.09) 怖いような…  fig.10) 美味しいなぁ

 

主要参考文献)

・「多古町史 下巻」多古町編さん委員会/1985.07

・「千葉県神社名鑑」千葉県神社庁/昭和62年12月

・「千葉縣香取郡誌」千葉縣香取郡役所/大正10年3月

・「多古の民俗 昭和五十年調査報告書」多古町教育委員会/昭和51年3月

・「房総の祭事」千葉縣神社庁特殊神事編纂委員会/昭和59年12月

・「藁蛇の道 -房総周辺の事例を中心に-」秋山笑子/千葉県立大利根博物館研究報告 第7号/平成

・「白幡八幡神社の祭礼と民俗」古山豊/千葉県立山農業高等学校研究紀要「あゆみ」第6号/平成8年3月(千葉縣山武郡白幡町所在の神社)